2010年1月11日月曜日

宗教意識が薄いか

仏教に神道、おまけに儒教と道教、それにキリスト教…日本にはいろんな神様がいらっしゃる。仏教が日本に伝えられたときにも、曽我家と物部家の間に争いがあったようだけど、「外国の神様とはいえ、神様は神様だ。」という見方は、どうやら当時の権力者たちを仏教の受け入れへと導いた。それ以来(いや、その前もそうだったろう)、日本にいろんな神様が共存している。それは、日本人のもつ宗教性であろう。ただし、一神教の視座からなされた多くの指摘によると、そのような宗教性は薄いということだ。

帝釈天にて

しかし、お正月は矢切の渡しを渡って江戸川の向こうにある帝釈天へお参りしたときに(これはもうわが家族の一つの伝統になっているという感じだなぁ)、今年も参詣者の数に驚いた。東京大神宮もそうだった。真夜中の氏神の小さな小さなお社にも、たくさんの人が並んでいた。お神酒をいただき、焚き火を囲んで甘酒を啜っていた。そこに、教義や教理を追求しなくてもいい。「今年もいい年でありますように」、「合格できるように」と想い、破魔矢とお守りを求めるのは、篤い信仰心の証拠だ。我々の生きている日常の世界を超え、何かを信じ、人間の世界を超越した存在を拝んだり、その力を借りようとしたりするのは、その一例なのだ。

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