2010年6月27日日曜日

森に潜む銀の竜 -あるいは幽霊

NIKOです。
皆さんは、自分だけの「秘密の場所」を持っていますか?
そこへ帰れば心安らぐ、そんな場所がありますか?
私と息子の「秘密の場所」、
それは「銀の竜が棲む森」です。

*:..。o○*゚¨゚゚・*:..。o○*゚¨゚゚・*:..。o○*゚¨゚゚゚ ・*:..。o○*゚

息子がまだよちよち歩きの頃から、毎日のように通っていた森。
自宅から森の入り口までは、たった徒歩2分。
しかし、そこから広がるのは外界とは全くの別世界です。


梅雨の晴れ間がのぞいたこの日、息子が森に行くと言い出しました。

「ユウレイソウを探しに行こう!」

ユウレイソウ・・・ユウレイタケ、いろいろと呼び名はあるようですが
正式には「ギンリョウソウ(銀竜草)」というようです。
それは本当に不思議な植物。まず、草には見えません。
その名の通り、全体が銀色・・・青白い真珠のような光沢ある色で
怪しい輝きを放っています。
葉緑体がないので、光合成ができないのだとか。
ベニタケ属のキノコの菌類に寄生して養分を得ているという、
不思議な植物・・・なのだそうです。
雨上がりの柔らかい土の中から、すっくと頭をもたげる姿は
凛とした気高い龍を思わせ、
暗く静かな森の中で怪しく光る姿はまた、確かに幽霊のようにも見えます。


一度見たら忘れられないその姿、
息子が初めて見たのは、まだ2歳の頃でした。
おぼつかない足取りで森を進んでいた時
つまずいて転んだ、その視線の先にユウレイソウが生えていました。
じーっと、見つめていた息子。
うわー、なんだろう? 同じように目を丸くして驚いた母。
そして早速調べてみて、
最初にたどり着いた呼び名がユウレイソウでした。

当時の息子は「幽霊」という言葉を知らず、
ユウレイソウのことはそれっきり忘れていたようですが、
4歳になった今、
母がふとつぶやいた「そろそろユウレイソウ生えてる頃かな」の言葉で
俄然興味が湧き、「何々それ? 幽霊がいるの?? 探しに行こう!」
となったわけです。

                     途中でちょっと寄り道です。

勝手知ったる森の中。でも、ユウレイソウはそう簡単にはみつかりません。
柔らかい足元に注意を払いながら、
チゴユリやオオイワカガミの葉をめくって・・・「あった!」
今回も、見つけてくれたのはやっぱり息子でした。


幽霊というより、やっぱり銀の龍かな・・・ 母はそんな風に思いました。
息子は、
「夜になったら森から出てくるかな、幽霊になって飛ぶかな・・・」と、
じっと息をつめて見ています。
発見の喜びと驚き、そして微かな畏怖の念。
息子の中に、さまざまな感情が渦巻いているのが,
手にとるように分かります。
「ユウレイソウの場所、二人だけの秘密だよ」
声を潜める息子。大切な宝物を隠すみたいに、
めくったオオイワカガミの葉をそうっとまた、戻していました。

息子と顔を見合わせて、思わず微笑んでしまいました。
ステキな秘密の共有、なんだかとてもいい気分です。

こんな気分を味わわせてくれた、銀の龍-あるいは幽霊 に感謝・・・







2010年6月22日火曜日

何を作っているでしょう?

またまたNIKOです。
森のようちえんならではの、楽しい工作をご紹介。
*:..。o○*゚¨゚゚・*:..。o○*゚¨゚゚・*:..。o○*゚¨゚゚゚ ・*:..。o○*゚

お散歩しながら、いろいろな葉っぱやお花を集めてきました。ていねいに、小さくちぎっています。さて、何ができるでしょう?



おやおや、なにか筒状のものが。



なにやら覗き込んでいます。 くるくる回しながら・・・



もうお分かりですよね。 そう、作っていたのは万華鏡です。 お散歩しながら集めたお気に入りの草花達を材料にして作った万華鏡。ワクワクしながら覗き込んだ世界は、こんなにもきれいに輝いていました。



身近に当たり前のように生えていて、時には「雑草」なんて呼ばれ簡単に引っこ抜かれてしまう野の草花。実はとっても魅力的でキレイだったりするんです。 その美しさにドキドキしながら見入ったのは、子ども達だけではありません。大人だって、同じ。

明日になったら、また違うお花や葉っぱを集めよう! 息子はウキウキしながら、眠りにつきました。
ステキな草花が見つけられるかな・・・?
明日からのお散歩が、よりいっそう楽しくなるはずです。

モリアオガエル -生まれるいのち、見守るいのち

お久しぶりです、NIKOです。

30数年生きてきて、初めて気がついたこと。それは自分が大のカエル好きだということ! というわけで、今日は私の大好きな里山のカエルさんを紹介します。私たちの田んぼの住人でもある、モリアオガエルさんです。

*:..。o○*゚¨゚゚・*:..。o○*゚¨゚゚・*:..。o○*゚¨゚゚゚ ・*:..。o○*゚

モリアオガエルは、その名の通り森の中に住むカエルです。色は、個々で濃淡の違いはありますが、一様に鮮やかな緑色です。 コロコロごろごろいう鳴き声は、蒸し暑いさなかの田んぼ仕事にはもってこいのBGMです。 

                              どうも、モリアオガエルです

                          あの、そんなに睨まないでくださいよ・・・

(モリアオガエルの鳴き声はこちら 
 http://www.hitohaku.jp/education/frog/zukan/moriao.html  )


モリアオガエルの一番の特徴は、卵の産み方。水辺に張り出した木の枝に登って、泡のカタマリのような卵塊を作るのです。


一回り身体の大きなメスを取り囲むように何匹ものオスがやってきて、みんなで一緒に受精卵を足でかき回します。そうすることによって、メレンゲのように決め細やかな泡がたち、卵を守る卵塊になります。

たくさん集まってくるオス達。メスをめぐって、競い合っているようには見えません。かけがえのない命をつなぐために、じっと、見守りあっているというような、不思議な一体感がそこにあります。

1,2週間もすると、卵塊の中でオタマジャクシが孵ります。オタマジャクシはじっと雨を待ち、雨で解けた泡と一緒に、水辺にポトリポトリと落ちていきます。そしてそれからは、ほかのカエルたちと同じように水の中でオタマジャクシの時期を過ごし、やがて足が生えてカエルになっていくのです。

今年も、モリアオガエルの産卵を見ることができました。かけがえのない命が誕生する瞬間を、4歳になる息子は、息をつめて見守っていました。自分自身の、かけがえのない仲間達とともに。


壮大なドラマでありながら、音ひとつたてず静かに進行する誕生の奇跡は、小さな子ども達の胸にもしっかりと刻み込まれていくでしょう。

いつまでも、忘れないでいて欲しいと思います。
いのちが生まれる瞬間に、時を忘れて魅了された、この日のことを。

2010年6月15日火曜日

田んぼの真ん中でいのちを考えてる


しばらくの間、晴天が続き、田んぼの水温がずいぶん上がってきた。お風呂のようだ。僕の祖父は、暖かくなった池に浸かったときに、いつも、「あぁ~、今日も、コーヒーのようだ...」と気持ちよさそうにゆってた。稲たちも、今、同じ感覚だろう。残念ながら、稲たちだけじゃないんだ。コナギと”その他”の雑草の芽が目立つこの頃。


田んぼに入って背の伸びたやつを取ったり、苗と苗の間を手でぱしゃぱしゃと...時間が少しでもあれば、草取りをやっている。腰を曲げて尻だけを世界に向ける。この間、シャツとズボンの間が開いてしまって、背中に素敵なストライプができちゃった。夕方にお風呂に入ったら、なんかぴりぴりと痛かった。普通、お風呂入ったら、腰痛が治るのになぁ、と不思議に思ってたけど、鏡に映った自分の赤い腰に思わず笑った。


そうえいば、雑草のほかに、ゾウムシ(どうやらイネミゾウムシ)も多発。成虫は葉っぱを食ってるだけだが、幼虫が生まれたら、今度根っこを狙うようだ。少し心配になって、虫たちの多い(信号待ちみたいに葉っぱ一枚に3,4匹も並んでいるところもある)苗から、この移住者たちを取ってしまうことにした。
こうやって、お米を作るのに、雑草と虫、それに踏みつぶされたオタマジャクシ、多くの生きものたちのいのちを落としてしまう。豚や牛が可哀そうで、お肉を一切食べない人たちに訊きたい。稲には、雑草には、虫には、いのちが宿ってないのか。大きさの問題?植物と虫まではとりあえずOKで、鶏肉がもうだめか?なぜ?枯れた雑草は悲鳴をあげないから?虫は血を流さないから?なんだかよく分からない。稲を育てるために、多くのいのちが失われ、その稲のいのちも、最終的にいただくことになる。稲も、牛も、みんな生きもの。


たしかに、大量生産になっちゃうと、いのちをいただくという感覚が完全に姿を消して、牛にせよ、米や小麦にせよ、みんな可哀そう。いのちの食べ方のような世界だね。でも、まだまだいのちをいただくというありがたさを忘れていない百姓さん(畜産農家、酪農家も含めて)いっぱいあるよ。そこで、いのちを区別しないでほしい。稲も、人間も、豚も、みんな同じいのちを持ってるから。

お寺のジャズ


お寺さんから漂うものといえば、まず御香だな。それに、たまに聴こえてくるお経。ところが、親鸞聖人のゆかりの地である浄興寺というお寺は少し変わった寺なのだ。ときには、コンサートホールに変身し、お経ではなく、ジャズの曲が聴こえてくる。この間も、山下庸介さんの名前に引っ掛かってThe FORCEのライブを家族で聴きにいった。後の方にお客さんが立ち並ぶくらい、いっぱいいっぱいだった。山下さんのピアノはもちろんのこと、坂井紅介のベースも、ちょっとわがままなポンタ村上のドラムもとってもよかったけど、天田透さんのBs.フルートはね...チビっちゃうくらいよかった。どうやら、このツアーだけのために、住んでいるドイツのベルリンからわざわざきてくれたようだ。少なくとも僕らは彼の音に完全に魅了された。

壇上の四人は明らかに楽しんで奏でている。夢中になってやっている。楽器を通してずっとおしゃべりしているみたいだった。聴いている方も、時間の感覚がずれてしまうほど、どこにいるのか、どっからきたのか、すべて忘れてしまいそうな一時だった。音楽がつま先まで入って全身になみなみと注がれて...暴れん坊の息子でさえ、1時間ほどもった。

やあ、別世界に連れててもらったようだ。ジャズの極楽浄土か...(笑)