2010年2月27日土曜日

バレンタイン・デー

キリスト教がまだ禁じられた時代に聖バレンタインという神父さんは活躍していたそうだ。信者たちのために密かな結婚式、まさに命懸けの挙式を行っていたという。そして彼のことを祝って聖バレンタイン・デーという祭祀が生まれたのだ。ただし、キリスト教圏からきている僕でさえ、つい最近前までは、この“恋人の祭”についてほとんど何も知らなかった。最近の流行といって完全に無視している人は周りに何人かいたし、特別な習慣があるなんて聞いたことがなかった。ひいて何かやるなら、彼女に花束をあげるくらいかなあというのは一般的な意識だろう。
 キリスト教徒の割合が1%前後であるという日本にきてから僕の中にあるバレンタイン像は大きく変わった。まず、男性じゃなく、女性がプレゼントをあげる。それに、そのプレゼントとは、なんとチョコなのだ。不思議だと思ったら、もらったチョコをついに握っていた。そのチョコは、愛情をこういう風に表現したく、僕と付き合いたい子からのプレゼントじゃなかった。そのとき、僕はすでに結婚していたし…とはいっても、嫁っこからのものでもなかった。同じ研究室の人からもらった、日本でおなじみの義理チョコだった。もらった瞬間の戸惑いを今も憶えている。どう答えたらいいか、嫁っこに何も言わず、隠したほうがよいのか…本当に困っていたのだ。まさかのカルチャーショック!
 後から知った。日本のバレンタインというのは、愛とかとは基本的に関係ないね。友チョコだってあるし、自分から自分へと…わけ分からない贈り方もあるようだ。重要なのは、チョコなのだ。チョコの製造者の快挙だ。全国にうまく広め、みんなをうまくつかんだなぁ。有名な菓子屋さんでさえ、バレンタインのときは安っぽいチョコレートを堂々と出したりして…バレンタインというシールを張っとけば、間違いなく売れるだろうと。聖バレンタインの「聖」は、どこへいったのか、この祭祀のもともとの意味はどこへ消えたか。外国の文化を受け入れながらも、それをうまく日本の風土に合わせるといった特徴が背景にあるとは思えない。チョコレートを作っている企業たちのうまい戦略にほかならない。うまい戦略なら、せめてうまいチョコも出しておくれ!
…とぶつぶついいながら、今年も手作りのチョコを美味しくいただいた。愛情もたっぷり入った。だといいんだけど… (*_*;






 毎年毎年田植えの時期が訪れてくると、馬の力を借りながら代掻きをやってきた人たちにとって馬というのは、とっても大切存在だった。そのような想いはあってこそ『馬』という小正月の行事が生まれただろう。桑取谷の一番奥にある横畑集落で一旦姿を消してしまった馬行事は地域の人たちとかみえちご山里ファン倶楽部というNPO法人のおかげでまた蘇らせてきた。豊作を願うという気持ちを込め、“馬”たちは集落の家々を回ってそして激しく跳ぶのだ。高く跳べば跳ぶほど、農作物がいっぱい採れると信じられてきただろう。

山かんじき



  直火で炙ったというか半分焼いたあぶらちゃんの木は充分に乾いてきたので、かんじきを完成させても良い時期になってきた。かんじきも今も使っていらっしゃる山村の先生たちに教えていただきながら、前と後ろの部分を合わせて固定し、かんじきの“爪”であるコボトケを付けた。爪のおかげで急な斜面でも滑らない、それに、猟師なら、撃ったときにちっとも動かないという。真ん中を縄で編んで靴をくっ付ける場所を作る。足の前も後ろも双方を動かせることによって斜面の登りでも楽々。できた!



裏山

まだ母国のチェコで暮らしていたとき、わざわざフランスやオーストリアのアルプスまで足を運んでスキーをやっていた。何百キロもかけてくたくたになっちゃったりして...スキーというのは、こんなもんだと思って、遠い遠い山でごく限られた時間にしかできないと思い込んでしまった。

板を車に積んで調査の合間に、お昼休みにちょっとだけ滑るという感覚は、この雪国に居ながらもなかなかつかめない。ただし、スキー場の近くで仕事をやることになったら、つい板を車に入れてしまう。もし、時間あったら...焼山や火打山のような美しくて高い山を背後に、日本海を眺めながら滑っている。この越後ならではの娯楽。




スキー発祥の地


オーストリア帝国軍の少佐であったレルヒ氏は日本でスキーを創めてからついに99年経った。来年は100周年を盛大にお祝いするという計画がすでに進められているようだ。アルプスの急斜面じゃなく、軍隊の基地(現在の高田自衛隊)からほど近い金谷山というなだらかな丘が日本のスキー発祥地となった。標高が低く、海も近いので、降雪の多い今年でも、雪がだいぶ融けてスキーができる日はあとわずかだ。こんな金谷山で毎年レルヒ祭が行われ、一本杖のスキーを履いて滑っているレルヒさんの姿が蘇ったかのうようだ。すぐそばにスノーモビールが走り、そりで遊んでいる子どもたちの声が響いている。


ところで、創始者のレルヒさんだが、当時、オーストリア帝国の一部であったチェコで青年の時期を過ごし、スキーのことをチェコ人のジュダールスキー氏から教わったという。どうやら、僕のふるさととの縁があったようだ。

今年の冬季五輪で何人かの日本人の選手が出場しているし、バブル時代から減ったとはいえ、スキーの競技人口も結構多いような気がする。スポーツとしてスキーは普及してきたに間違いない。ただし、雪国の日常生活にも定着したかどうかというと、そうでもない。かんじきを履いて山に入る習慣のほうが強かったのか、上越地域でスキーを日常的に使うようになったのは、後谷というたったひとつの村落の人たちだけだったという。高田の市場に行く際にスキーを履いて山から下っていったと言われている。集落そのままが廃村となってしまったし、現在はかんじきでもスキーでもなく、みんな車に乗って除雪された道を走るだろう。


2010年2月7日日曜日

越王



大雪に追われ、うまいものに開放を求めているせいか、清酒に続いて今回もグルメ!日本海に沿って走る国道8号沿いにある「越王ラーメン」というお店に昔からよくいっている。辛味噌ラーメンがお気に入りで、野菜ラーメンの塩もお勧めだが、最近、新メニューはできて、それはそれはまたうまいっ!


とんこつ醤油ラーメンに好きなだけの揚げにんにくソースをかけて、後はもう夢のような、別世界に連れてくれるような味わい。波の音が聞こえなくなるくらい。この味を表す言葉が乏しく、グルメレポーターには絶対なれないと諦めているところだが、ただ目を細めてつるつると...あぁ、本当に美味しい!

白雪

 下越の方にある弥彦村とのご縁が強く、日本海の波を眺めながら車を飛ばし、よく弥彦に遊びにいっている。名高い弥彦神社などがあるこの温泉街を紹介するまでもない(そのうち、湯かけ祭りや灯籠祭りの記事が出てくると思うけど...)。今回は、上泉という集落にある弥彦酒造にお邪魔させてもらった。毎年、灯籠台を一緒に担ぐという縁があって、専務を務めている大井さんに案内してもらった。実は、いろんな酒蔵をのぞき、見学したことが何回もあるけど、仕込み真っ最中の蔵は初めてだった。感動した。本当に感動した。ビールの国からきた僕は、そのことさえ忘れつつある。最近は、ビールより日本酒の方が晩酌の御供になってくれる。そんな僕は、興奮しながら、大井さんの後を追って蔵のおちこちをみさせてもらった。

 
 会社の秘密であるかもしれないので、詳細は控えるけど、麹や酵母を作る過程、お米を蒸しているところなどなど、全部みせてもらった。その背景にあるいろんな秘密と拘り、ただただお酒を飲んでいる僕らに隠されているいろんな努力をはじめて目にして本当に感動した。これからはもっと感謝の気持ちを込めて飲まなきゃとさえ思った。井戸の水、麹、酵母、作っている人にしてみれば、すべては子どものような存在。(これは、僕じゃなくて、大井さんの喩えだ。)お世話が大変で手のかかる子もいれば、優秀で優秀で期待が高まっているばかりの子もいるだろう。まだ生まれていないころから、瓶に入っている日本酒になるまで、親としての杜氏や蔵人がきちんと子育てをしてくれているのだ。そして、教育の哲学もあるあるように、日本酒にも深い哲学がるように思えた。味わい深い宇宙論だ。